退職しました

2010/9/30 で、株式会社東芝を退職しました。

6年半何をやってきたか、少し振り返ってみます。

最初

組み込み機器向けソフトウェアの先行開発をする部門にいました。組み込み機器といっても、いわゆる黒物家電で、 Cell プロセッサを使ったものや、コンテンツ再生機がターゲットです。

最初にアサインされたのは、画像処理アルゴリズムを Cell で速く動かす、という仕事でした。それで、こういうものができた。

(画像は AV Watch の記事より)

Cell に本気出させたら何ができるか、というものでした。当時は F1 というプロジェクト名だった。これは後に発売される CELL REGZA のマルチチャンネル表示につながったそうな。

ここで学んだのは、「少数だけど精鋭がチームを組むと、不可能としか思えないことも実現できる」ということでした。性能の見積もりはぎりぎりいけるだろうレベル。しかしプロジェクトの期限は1ヶ月で、手持ちのコマはばらばらのパーツのみ。実担当は2人。それでも、毎日力を出し合って、周りの優秀なメンバーからアドバイスをもらい、日々がんがん進化していった。最後の方のある日は、入社以来はじめての泊まりこみデバッグを経験したりしたなー。それでけっきょく、3週間でできた。

完成した展示はそれなりの反響があった。1年目で、これを期限内に達成できたことは、その後のエンジニア生活にとって大きな自信となったと思う。

製品開発部

そうこうしているうちに、直近の製品を開発する部署に移りました。 HD DVD という規格があって、そのプレイヤーソフトウェアをつくっていました。

HD DVD is REAL ( 画像元)

最初は、あるプラットフォーム向けに書かれたコードを別のプラットフォームに移植したり、ややこしいバグの解析などをしていました。そのあと、 HTTP ストリーミングを実現する部分の実装をスクラッチから書いた。実際の製品に載るコードを書く、というのがどういうことか知る経験になりました。あと、この頃にテストの大事さや開発プロセスについてよく学んだ。自分の書いたコードがちゃんと動くようお守りしに、ラスベガスの展示会に行った思い出も (けっきょく、問題は何もおこらなくてホッとした)。

Molatomium

そっちの話が一段落したあと、元の部署に戻って Molatomium という並列プログラミングモデルをつくるプロジェクトに合流しました。

それまでインタプリタ型の処理系だったのを、 VM で実装しなおす、という仕事をはじめました。そんな、言語処理系とかつくったことないよ.. と思いつつも、るびまの連載 を参考にしてコツコツつくり、半年くらいで仕上げた。

R2073399

VM つくるってのはいい。いわゆる全能感がありますね。自分の設計したマシンの上で、自分たちの設計した言語をつかって、ユーザがプログラムしたコードが走る! これぞプログラミング、てかんじだ。昔から OS つくりたい! みたいなのを思っていて、それは結局なにかというと自分がコンピュータを完全に制御したい、ということなんだと思う。 VM をつくるというのは、それに近い。

その VM はけっきょくいくつかの製品に搭載され、世の中に出た。やっぱり、自分の書いたコードで動いている製品を電気屋さんでみるのは、ちょっとした感慨がある。

そうしてつくった VM の話をちょいちょいと学会などでしていたら、雑誌に投稿する機会にめぐり合ったり、アカデミアの輪に片足つっこんでみたりで研究者っぽくなった。国際学会に出すんや! と論文をちまちま書いて、最終的には2つの国際ワークショップで発表する機会を得た。

要約すると、念願の全能感をてにいれ、製品に載り、論文も書いた。雑誌投稿もし、国際ワークショップで発表もした。 で、まぁこれはいい区切りだな、と。

間接的なもの

どんな貢献ができたかなと思い出してみます。

自分のコードが入った製品はたしかに世に出たけれど、その売上に寄与できたか、というのよりは 間接的なことに取り組んできたのかなと思います。 Web 周りの整備をして、 Trac, Redmine, SVN, Git, Hudson といった世間の最新技術を利用することを啓蒙したこと。 読書会を開催して、組織を横断したつながりをつくったこと。場をつくり、文化のタネを蒔けたかなと。 あと、国際ワークショップでの発表や雑誌への寄稿、アカデミアとの交流によって、技術力というブランドの向上には多少寄与できたかなと。

次へ

思い出しながら書いてきたんですが、読み返してみると 好きなことを、自由にやってこれた なーと改めて。それはたぶん、周りの人たちのおかげで、ぼくがぼけーっと好きなことをしている横では苦労してたり迷惑をかけてしまっていた人がいたんだろう。すみません、ありがとうございます。こんなやりやすい職場環境で、エンジニアとしての基礎素養をつけることができたのは、とてもラッキーだったんだと思います。

で、もう明日から別のところで新しいチャレンジがはじまります。というかもう今日じゃないの.. 眠くなってきた..

次回作が最高傑作!